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横浜地方裁判所 昭和61年(ワ)1045号 判決

原告

三上公太郎

法定代理人親権者兼原告

三上富士子

両名訴訟代理人弁護士

佐藤克洋

被告

乙川太郎

訴訟代理人弁護士

平沼髙明

堀井敬一

西内岳

訴訟復代理人弁護士

加藤愼

永井幸寿

主文

一  被告は、原告三上公太郎に対し五五一一万四一三一円、原告三上富士子に対し三三〇万円、及びこれらに対する昭和六一年五月二〇日から各支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その七を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決の主文一は、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告三上公太郎に対し二億一七六万二〇二七円、原告三上富士子に対し二二〇〇万円、及びこれらに対する昭和六一年五月二〇日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する被告の答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

被告は、肩書住所地において産婦人科医院(以下「被告医院」という。)を開業している医師であり、原告三上富士子(以下「原告富士子」という。)は、昭和五九年一〇月二二日被告医院において原告三上公太郎(以下「原告公太郎」という。)を出産した。

2  診療契約の締結

原告富士子は被告との間に、昭和五九年一〇月二二日被告医院入院の際、胎児に心身の異常があれば被告に診療を依頼する旨の診療契約を、子が出生した時は子の法定代理人として、その子に心身の異常があれば被告に診療を依頼する旨の診療契約を、それぞれ締結した。

3  本件の経緯

(一) 出産から退院まで

(1) 原告富士子は、昭和五九年一〇月二二日午前九時六分、被告の介助により第二子の原告公太郎を出産し、原告らは同月二六日退院した。

(2) 入院中、原告公太郎は、哺乳力が弱く、肉付きが悪くて乳児特有の皮膚の張りもなく、元気がなかった。原告富士子は三時間おきに母乳を授乳する際に原告公太郎と接したが、原告公太郎はほとんど寝た状態で、口に含ませても母乳を全然飲まず、また、泣き声をあげることがなかった。

(3) 心配した原告富士子は、同月二四日、看護婦にミルク飲みの様子を尋ねたところ、飲んでいる旨の返事を受けた。翌二五日には、原告公太郎の泣き具合を尋ねたところ、一緒にいる乳児が泣いた時につられて泣く程度である旨の返事を受けた。同月二六日午前一一時、退院するに当たって被告と面接した際、原告公太郎の泣き声をまだ聞いていないが大丈夫であるかと聞いたところ、泣いているので大丈夫である旨言われた。

(4) 原告公太郎の体重は、出生児三三〇〇グラムであったが、退院時三〇九〇グラムに減少していた。

(二) 退院後、被告医院の外来診察まで

(1) 退院後、原告公太郎は初めて母乳を飲んだが、肉付きが悪く元気がない状態が続き、泣き声は小さかった。原告公太郎は非嫡の子であったが、同居していた父親の磯貝公司から痩せていて怖くて抱けないと言われたり、原告富士子の友人からこんなに痩せている赤ちゃんは初めて見たといわれることがあった。

(2) 退院して約一週間後、原告公太郎の体温が低く感じたので測定したところ、三五度八分しかなかった。そのため、原告富士子は、育児電話相談窓口の「エンゼル一一〇番」に電話をかけて相談したところ、「三五度以上あれば心配はない。毛布を一枚よけいに掛けて様子を見るように。」とのアドバイスを受けた。それに従ったところ、体温は三六度四分に戻った。

(3) 右のころから、母乳の飲みが再び悪くなったように感じられたので、日に二、三度、ミルクを二〇ccから三〇cc程度母乳に追加して与えるようにしたが、次第に母乳を飲む量は少なくなった。同年一一月五日から七日まで三日間便が全く出なくなって便秘になり、尿の量も乏しくなった。原告富士子は、こよりを作って浣腸を試みたが、便はでなかった。そのため、同月七日、再び「エンゼル一一〇番」に電話相談をしたところ、「脱水症状を起こしているかもしれないので、直ちに病院で診察を受けるように。」との指示を受けた。

(4) そこで、原告富士子は、同日午後二時ころ、被告医院で診てもらおうと被告に電話をかけた後、同日午後二時三〇分ころ、原告公太郎を連れて被告医院に行き、外来診察を受けた。

(三) 被告医院の外来診察(以下「本件外来診察」という。)

(1) 被告医院で、看護婦に原告公太郎の浣腸をしてもらったところ、うさぎのようなコロコロした便が出た。

その後、被告が診察に来て、原告公太郎の腹部を触診したが、その際、胸に異常な凹みがあることに気づき驚いた。原告富士子も、それまで胸の凹みを見たことがなかったので、驚いた。被告から、「これは何ですか。いつからですか。」と聞かれて、初めて見た旨答えると、被告は、聴診器を原告公太郎の胸に当て診察したが、「心臓に異常はないので大丈夫。」と言うだけであった。

(2) 胸に深い凹みがあるのに大丈夫と言われただけだったので、不安を抱いた原告富士子は、被告に、ミルクの飲みが悪いこと及び泣き声が小さいことを話したところ、被告から、「そういえば元気がないですね。今は何を飲んでいるのですか。」と聞かれたので、母乳を飲ませている旨を伝えると、被告から、「それではちょっと痩せすぎですから母乳にミルクを追加して少し太らせなさい。」と言われた。原告富士子は不安をぬぐい切れず、本当に大丈夫かと念を押したが、大丈夫という返事であったので、そのまま帰宅した。

(四) 本件外来診察後、横浜市救急医療センターでの診察まで

(1) 午後四時ころ被告医院から帰宅した後、原告公太郎は母乳を飲みながら寝てしまったので、そのままベビーベッドに寝かせた。原告富士子も育児の疲れなどのため寝入った。

午後一一時過ぎ、帰宅した磯貝公司に起こされて、原告公太郎の様子を見ると、顔色は黄土色で体温は冷たくなっており、「ヒヒーン」というかすかな泣き声を上げていた。あわてて被告に電話したところ、もう遅いから診られないと断わられたが、体温が低いことを話すと、「多分入院すると思うから、桜木町の救急センターに行きなさい。だって元気がなかったでしょう。」との指示を受けた。

そこで、直ちに、原告富士子は、磯貝公司の運転する車に乗って原告公太郎を横浜市救急医療センター(以下「救急センター」という。)に連れて行った。

(2) 午後一一時三〇分、救急センターに到着した。右到着時、原告公太郎は、無呼吸状態に陥っていて、重度の脱水及び低体温(体温31.7度)が認められ、皮膚の乾燥状態は著明であり、体重はわずか二六五〇グラムに減少していた。一一時三一分、直ちに処置室に運ばれ、一一時三二分、アンビューマスクで酸素吸入を開始し、医師が胸部を圧迫して刺激したところ、自発呼吸が戻った。さらに湯たんぽで体を温めるなどの救急処置がとられたが、専門治療が必要なため、翌八日午前零時五分、看護婦が付き添い、湯たんぽを貼用し、酸素吸入を受けながら、横浜市大病院(以下「市大病院」という。)に転送された。

(五) 市大病院への入院

(1) 原告公太郎は、市大病院に搬送された直後、重度の脱水症状、ショック症状を呈していた。呼吸は浅く、胸骨下に陥没が認められ、呼吸数も少ない状態であったため、気管挿管を行い、人工呼吸及び点滴等の救急処置がとられ、以後原告公太郎は、市大病院に入院することになった。

(2) 担当医が胸部エックス線検査を何度か施行したところ、常に気管の偏位が認められたため、食道造影及びCTスキャン検査を施行した結果、気管及び食道を圧迫する形で腫瘤があることが判明した。

同年一一月一四日、ようやく危機的状態を脱し、同月一六日、緊急手術が行われて腫瘤が摘出され、病理所見により食道のう腫と診断された。食道のう腫以外の合併奇形は見当たらなかった。

(3) 気管挿管は同年一二月まで続けられ、酸素投与は翌年の昭和六〇年一月七日まで続けられた。同月一二日から四肢緊張亢進のためリハビリテーションを開始した。同年二月上旬に病状が軽減し、同月一四日、市大病院を退院した。

(六) 後遺障害

原告公太郎は、重度脳障害により四肢麻痺、精神運動発達遅滞の後遺症(以下「本件後遺症」という。)が残った。

4  本件外来診察時の症状

(一) 異常な体重減少

右3のとおり、原告公太郎が一一月七日午後一一時三〇分に救急センターに運ばれた時、体重は二六五〇グラムであったことから、同日午後二時三〇分ころの本件外来診察時の体重は、二六五〇グラムないし二七五〇グラムであったと推定される。これは、日齢一六日において出生体重三三〇〇グラムより五五〇グテムないし六五〇グラム減少し、また本来の体重より三八五グラムないし六五〇グラム(一三パーセントないし二〇パーセント)減少していたものである。

(二) 重度の脱水症状、栄養障害

著しい体重減少があったことから、重度の栄養障害をきたしていたことは明らかであり、脱水症も存在していた。脱水の程度については、市大病院入院後一週間でほぼ体重増加が頭打ちになったこと、及びその間の点滴・哺乳による総摂取カロリーが成長に足りる程のものではないことなどを考慮して入院後の体重の推移に照らすと、一三ないし一四パーセントの脱水と推定される。したがって、中等症ないし重症の等張性脱水症があったものである。

(三) 陥没呼吸ないし呼吸障害

市大病院入院直後から陥没呼吸が見られたこと、及び呼吸困難が一日でそれほど変化はなかったと考えられることから、本件外来診察時に既に呼吸障害は存在し、陥没呼吸も存在したと推定される。

5  原告公太郎の症状及び本件後遺症が発生した原因・機序

(一) 原告公太郎の症状(脱水・低体温・無呼吸等)が発生した原因・機序

原告公太郎は、前記3のとおり、一一月一六日腫瘤を摘出する手術すなわち縦隔腫瘤摘出術を受けたが、術前・術後の所見によれば、隣接する食道及び気管の中間に腫瘤が存在し、食道のう腫が気管及び食道を強く圧迫していたことが認められる。出生時、明らかな呼吸困難及び哺乳困難症状を示してはいなかったが、一一月七日当初には、腫瘤が気管及び食道を圧迫していたことにより、呼吸困難及び哺乳困難を起こしていた。

原告公太郎は、市大病院入院後、吸啜反射を著名に認め、三〇ミリリットルの哺乳を受け、哺乳可能な状態であり、さらに、原告富士子の母乳の分泌も十分あったことから、原告公太郎が一一月七日まで母乳ないしミルクを摂取し続けていたことは明らかである。しかし、哺乳困難で成長に足る量の摂取はできなかったことから、哺乳量が長期にわたり不足し、被告医院を退院してから一一月七日まで全く成長せず、本件外来診察時には、重度の栄養障害及び一三ないし一四パーセント程度の慢性の脱水を引き起こすに至っていた。

一一月七日午後一一時三〇分ころ、原告公太郎は、無呼吸状態に陥っていて、重度の脱水症、低体温等の症状を呈していたが、長期にわたりエネルギー及び水分が不足し、また、栄養障害・呼吸困難が呼吸筋等を疲弊させていたところ、入眠後呼吸中枢の抑制がおこり、基礎にあった腫瘤による気道の閉塞が入眠中さらに増加し、低酸素血症が起こり、呼吸中枢が働かなくなって無呼吸状態、低体温に陥ったものである。

(二) 本件後遺症が発生した原因・機序

市大病院入院後、ほぼ完全な医療管理がなされたこと、及び食道のう腫以外の合併奇形は見当たらなかったことなどから、原告公太郎の脳障害は先天性のものではなく、また、市大病院入院以前に発生したものである。

原告公太郎の無呼吸は自然回復するようなものではないから、一一月七日夜原告富士子が発見した無呼吸が最初の無呼吸であると考えられ、また、低酸素状態は原告富士子の発見時から救急センターを受診する午後一一時三〇分まで持続したと考えられるところ、右の間の低酸素状態は後遺症を残すに十分である。四肢緊張は生後二か月と早期から出始めているが、一般に重症の新生児仮死でも生後二か月から四肢緊張が亢進したときはかなり重症であること、及び未熟児など低栄養が続いただけでは重度の四肢緊張性麻痺を起こすことは稀であることから、たとえ低栄養による脳障害が多少あると仮定しても、それだけでは説明ができない。

したがって、本件後遺症の原因は、一一月七日夜の発見時から同日午後一一時三〇分までのショック、低酸素状態及び無呼吸にある。

6  被告の責任

(一) 被告の過失

(1) 被告医院入院中の過失

被告は、原告公太郎が被告医院で出生し退院するまでの間、原告公太郎の体重、哺乳力、泣き声等の全身状態の十分な把握、管理を怠った過失がある。

(2) 本件外来診察の際の過失

本件外来診察時、原告公太郎は異常な体重減少、重度の脱水症・栄養障害、陥没呼吸ないし呼吸障害等の重篤な症状を呈していたのであるから、被告は、①原告公太郎の体重を測定し、②哺乳力の検査・栄養分の確定のための検査・胸部エックス線検査・肺機能検査等の諸検査を行って全身状態を精査し、高濃度酸素吸入・補液等の処置を取り、さらに、③十分な医療管理の下で右症状の原因を詳しく調べるため、すなわち精査目的及び管理目的で、直ちにしかるべき医療機関に転送すべき注意義務を負っていたのにこれら①ないし③を怠り、原告公太郎に浣腸をした後、胸を聴診し、心臓に異常がないので大丈夫であると軽信し、異常な体重減少、重度の脱水症・栄養障害、及び陥没呼吸ないし呼吸障害等を看過し、原告富士子に対し、母乳にミルクを足すように指導しただけでそのまま帰宅させた過失がある。

(二) 因果関係

前記5のとおり、本件後遺症の原因は、一一月七日の夜の発見時から同日午後一一時三〇分までのショック、低酸素状態及び無呼吸にあり、その間に脳に障害を与えたものであるから、早期からしかるべき病院に転送し、原因精査及び医療管理を受けていれば、本件後遺症の発生は未然に防止できたことは明らかである。したがって、被告の過失と本件後遺症との間には因果関係がある。

(三) 右(一)(二)により、被告は原告らに対し、債務不履行又は不法行為を理由に、原告らが被った後記損害を賠償すべき義務がある。

7  損害

(一) 原告公太郎の損害

(1) 逸失利益 六三七二万九六七七円

原告公太郎は、本件後遺症により労働能力を一〇〇パーセント喪失したところ、賃金センサス平成四年男子全年齢平均年収額五四四万一四〇〇円を基礎に、ライプニッツ係数により年五分の割合の中間利息を控除して逸失利益を算定すると、次のとおり六三七二万九六七七円となる。

544万1400円×11.712=6372万9677円

(2) 付添費 一九七一万円

原告公太郎は、市大病院退院後から平成六年九月現在まで九年余り、常時介護を要する状態が続いているところ、右付添・介護は原告富士子が当たってきた。右付添・介護に要した費用は、一日当たり六〇〇〇円を下らず、次のとおり一九七一万円となる。

六〇〇〇円×三六五日×九年=一九七一万円

(3) 将来の付添費 七〇三二万二三五〇円

原告公太郎に対する付添・介護は、右のとおり現在まで原告富士子が当たってきたが、精神的肉体的疲労が極に達しており、今後は専門の付添人に依頼させざるを得ない。専門の付添人の費用は、一日当たり一万円を下らず、九才男子の平均余命六七年のライプニッツ係数により中間利息を控除して計算すると、次のとおり七〇三二万二三五〇円となる。

1万円×365日×19.239=7032万2350円

(4) 慰謝料 三〇〇〇万円

原告公太郎が本件後遺症により被った精神的苦痛に対する慰謝料は、三〇〇〇万円を下らない。

(5) (1)〜(4)の合計は、一億八三七六万二〇二七円である。

(二) 原告富士子の損害 二〇〇〇万円

最愛の息子が前記のような状態に陥ったこと、今日まで昼夜を分かたず介護してきたこと、及び将来にわたっても同様の心労が続くことは避けられないことを考慮すると、原告富士子が被った精神的苦痛に対する慰謝料は、二〇〇〇万円を下らない。

(三) 原告らの弁護士費用 二〇〇〇万円

原告らは、本件訴訟の提起・遂行を原告ら代理人に委任したが、被告に賠償を求め得る弁護士費用としては、請求額の一割が相当であるから、原告公太郎については一八〇〇万円、原告富士子については二〇〇万円を下らない。

(四) 合計

原告公太郎の被った損害合計額は二億一七六万二〇二七円、原告富士子の被った損害合計額は二二〇〇万円である。

8  よって、被告に対し、債務不履行又は不法行為による損害賠償として、原告公太郎は二億一七六万二〇二七円、原告富士子は二二〇〇万円、及び右各金員に対する訴状送達の翌日である昭和六一年五月二〇日から各支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(当事者)は認める。

2  請求原因2(診療契約の締結)は認める。

3  請求原因3(本件の経緯)について

(一) 同(一)(1)は認める。

(2)は、入院中原告公太郎の哺乳力が弱く、肉付きが悪くて皮膚の張りもなく、元気がなかったことは否認し、その余は知らない。

(3)は、昭和五九年一〇月二六日午前一一時退院に際し原告富士子が被告と面接したことは認め、右面接の際被告が原告富士子から原告公太郎の泣き声をまだ聞いていないが大丈夫であるかと聞かれたところ、泣いているので大丈夫であるといったことは否認し、その余は知らない。

(4)は認める。

(二) 同(二)(4)は認め、(1)ないし(3)知らない。

(三) 同(三)(1)は、被告医院で看護婦が原告公太郎の浣腸をした結果、便が出たこと、及び被告が原告公太郎の腹部を触診し、胸に聴診器を当て診察した結果、原告公太郎の心臓に異常はないと判断したことは認め、出た便がうさぎのようなコロコロしたものであったこと、腹部の触診の際胸に異常な凹みが認められたこと、及び被告が原告富士子に「これは何ですか。いつからですか。」と聞いたところ、初めて見た旨の返事を受けたことは否認し、原告富士子が診察の際原告公太郎の胸の凹みを初めて見て驚いたことは知らない。

(2)は、原告富士子が被告にミルクの飲みが悪く泣き声が小さいと話したこと、被告が「今何を飲んでいるのですか。」と尋ねたところ、原告富士子が母乳を飲ませている旨答えたこと、及び被告が「それではちょっと痩せすぎですから母乳にミルクを追加して少し太らせなさい。」と言ったことは認め、被告が「そういえば元気がないですね。」と言ったこと、原告富士子から本当に大丈夫かと念を押されたので、被告が大丈夫と返事をしたことは否認し、原告富士子が不安を抱いていたことは知らない。

(四) 同(四)(1)は、一一月七日夜原告富士子から被告に電話がかかってきたこと、その際被告が、「桜木町の救急センターに行きなさい。」と指示したこと、及びその後原告富士子が原告公太郎を救急センターに連れていったことは認め、被告が遅いから診れないと断ったこと、体温が低いことを言われて「多分入院すると思う。だって元気がなかったでしょう。」と原告富士子に言ったことは否認し、その余は知らない。

(2)は、原告公太郎が救急センターから市大病院に転送されたことは認め、その余は知らない。

(五) 同(五)は、すべて知らない。

(六) 同(六)は、すべて知らない。

4  請求原因4(本件外来診察時の症状)について

(一) 同(一)は、原告公太郎が、一一月七日午後一一時三〇分に救急センターに運ばれた時の体重が二六五〇グラムであったことは不知、その余は否認ないし争う。

(二) 同(二)は、市大病院の入院後一週間で原告公太郎の体重増加がほぼ頭打ちになったこと及び右の間の点滴・哺乳による総摂取カロリーが成長に足りる程のものではないことは不知、その余は否認ないし争う。

(三) 同(三)は、市大病院に入院した直後から陥没呼吸が見られたことは不知、その余は否認ないし争う。

5  請求原因5(原告公太郎の症状及び本件後遺症が発生した原因・機序)について

(一) 同(一)は、原告公太郎が出生時呼吸困難及び哺乳困難症状を示していなかったことは認め、一一月一六日縦隔腫瘤摘出術を受けたこと、術前・術後の所見によれば、隣接する食道及び気管の中間に腫瘤が存在し、食道のう腫が気管及び食道を強く圧迫していたこと、市大病院に入院直後原告公太郎に吸啜反射を著明に認め、三〇ミリリットル哺乳され、哺乳可能な状態であったこと、及び右の際原告富士子の母乳の分泌が十分であったことは不知、その余は否認ないし争う。

(二) 同(二)は、市大病院の入院後ほぼ完全な医療管理がなされたこと、食道のう腫以外の合併奇形は見当たらなかったこと、四肢緊張が生後二か月と早期から出始めたことは不知、その余は否認ないし争う。

6  請求原因6(被告の責任)は、否認ないし争う。

7  請求原因7(損害)は、否認ないし争う。

三  被告の主張

1  被告医院入院中の状況

原告公太郎は、被告医院に入院中、ごく普通の正常な新生児であり、退院時にも何ら異常は認められなかった。

被告医院では、分娩後第三日の午後零時から新生児を母親の所に連れていき、母乳の授乳を開始するが、通常、母乳は直ぐには出ないし、新生児の哺乳力もそれ程あるわけではない。原告公太郎は、被告医院に入院中、必要かつ十分なミルクを飲んでいた。仮に、母乳を与える際、泣き声をあげることが少なかったとしても、新生児にはよく泣く子もいれば、おとなしい子もいるのであって、泣き声だけで正常か異常かを判断することはできない。退院時、体重は三〇九〇グラムに減少していたが、これは、生理的体重減少の範囲内であり、かつ、新生児としては普通の体重である。

2  本件外来診察時の症状等

本件外来診察時、原告富士子は原告公太郎の便秘だけを訴えており、その他の症状を全く訴えなかった。原告公太郎を浣腸した後診察したが、脱水、呼吸障害及び低体温の各症状は認められず、かつ、その他の脳障害の原因、症状も認められなかった。哺乳力の減退もなく、胸に異常な凹みは見られなかった。とくに、脱水症は、軽症時にも頻脈、口腔粘膜の乾燥を認め、中程度に至れば亢進脈圧低下・四肢末端温度の低下・大泉門陥没・眼球陥没・皮膚ツルゴール(皮膚の緊張度)の低下を認め、重症になるとショック・意識不明・痙攣が生じるが、これらはいずれも症状として現われていなかったのであり、脱水症に陥る原因となる嘔吐・下痢・発熱等の症状の訴えもなかった。さらに、医師である被告が、多呼吸、チアノーゼ、呻吟等の呼吸障害を見落とす筈がない。仮に、軽度の呼吸障害があったとしても、一回の診察で判るような呼吸障害の症状は呈していなかったものである。

原告公太郎は、退院時に比べて少し痩せていたが、これは、原告公太郎の哺乳力に原因があるのではなく、原告富士子の授乳過誤によると考えられる。すなわち、被告は、被告医院に入院中の母親に対し、退院後も母乳にミルクを必ず追加するようにと指導しているが、右指導に従わない母親もいることや、原告富士子が入院前の定期診察を指示どおり受けなかったことなどの事情に照らすと、原告富士子は、被告の右指導に従わず、ミルクを追加しなかったものと考えられる。

一一月七日夜原告公太郎に異変が生じた旨の電話がかかってきた際、産婦人科の医師である被告が、深夜であることを理由に診察を断わる筈がない。原告公太郎の顔色が悪いし呼吸もおかしいなどという、そこで聞いた症状から判断して、一刻も早く救急車で救急センターへ行くように指示したのである。原告ら主張のとおり原告富士子が被告の指示に反して乗用車で救急センターへ行ったのだとすれば、そのことは、緊急に処置をとってもらうために出した被告の指示の効果を無に等しくするものであったといっても過言ではない。

3  呼吸停止等の原因

原告公太郎が、先天性食道のう腫という疾患に罹患していたものであるとすると、右疾患は極めて稀な先天性異常の病気である。原告公太郎が無呼吸症状に陥った原因については、呼吸停止に食道のう腫が関係していた疑いが強いが、気管の圧迫によるものであれば圧迫を取り除かない限り呼吸停止が継続するはずであるところ、市大病院に入院後二時間経過した時点で無呼吸発作を起こしていることから、食道のう腫による気管の圧迫のみから説明がつくものではない。本件のように先天性異常を有する場合、他にも先天異常が存在することが多いといわれており、原告公太郎についても、気管・気管支の先天的低形成が生じていたり、あるいは呼吸中枢が未熟であった可能性も強く、食道のう腫による圧迫以外の不可知の諸因があるのではないかと推察される。原告公太郎が示した病態は、睡眠時無呼吸症候群に酷似しており、現代の医学では予見も予防も不可能な乳児突然死症候群のニアミス、すなわち、未然型SIDSが発症し、突然無呼吸症状に陥ったものと考えられ、その原因は医学的に不明である。また、無呼吸発作を睡眠時に繰り返していた疑いがあり、その結果血液中の炭酸ガスが増えて高炭酸血症に陥っていた可能性が強く、低酸素高炭酸ガスの状態が原告公太郎の脳に影響を与えていた可能性も否定できない。

4  過失の不存在

(一) 入院中の過失の不存在

原告公太郎は被告医院に入院中、ごく普通の正常な新生児であり、退院時にも何ら異常を認めなかったのであり、原告らが主張するような原告公太郎の体重、哺乳力、泣き声等の全身状態の十分な把握、管理を怠った過失はない。

(二) 本件外来診察時の過失の不存在

本件外来診察時、脱水、呼吸障害及び低体温の各症状は認められなかったこと、及び約八時間後に無呼吸状態に陥ることを予測することは不可能であったことから、原告らが主張するような原告公太郎の体重を測定し、全身状態を精査し、また、他のしかるべき医療機関に転送すべき注意義務はなかったというべきであり、したがって、これを怠った過失はない。

原告公太郎は、退院後一二日ぶりに単なる便秘の訴えで来院し、毎日授乳し続けていた原告富士子も便秘以外に異常を感じていなかったものであり、主訴は単なる便秘であった。被告は、退院以後毎日原告公太郎を観察していたものではなく、診察時の原告公太郎の状態から、約八時間後に呼吸停止をきたすことを予見することは不可能であった。当夜発現した呼吸停止は、前記のとおり、予見不可能な乳児突然死症候群のニアミスが発症したものと考えられる。とくに、先天性食道のう腫は稀にみる疾患であり、たとえ脱水が少々存在していたとしても、そのことから本件の結果を予測することは、現在の医療水準では不可能である。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張1(被告医院入院時の状況)について

退院時体重が三〇九〇グラムに減少していたことは認め、その余は否認ないし争う。

2  被告の主張2(本件外来診察時の症状等)について

すべて否認ないし争う。

3  被告の主張3(呼吸停止等の原因)について

原告公太郎が先天性食道のう腫という疾患に罹患していたこと、及び右疾患が稀な先天性異常の病気であることは認め、その余は否認ないし争う。

「乳幼児突然死症候群のニアミス」という病名は、発症の原因が不明である場合についてやむを得ず付けるものであるところ、前記一5のとおり、原告公太郎が呼吸停止に至った医学的な原因・機序は明らかに判明できるのであるから、原因が判明している本件について乳幼児突然死症候群のニアミスであると考えるのは誤りである。

4  被告の主張4(被告の無過失)について

すべて否認ないし争う。

第三  証拠

記録中の書証目録・証人等目録のとおりである。

理由

一  本件の事実経過

請求原因1(当事者)の事実及び同3(本件の経緯)の事実中、原告富士子が昭和五九年一〇月二二日午前九時六分被告医院において被告の介助により第二子である原告公太郎を出産したこと、原告らが同月二六日退院したこと、同日午前一一時退院に際し被告と原告富士子が面接したこと、原告公太郎の体重が出生時三三〇〇グラムから退院時三〇九〇グラムに減少していたこと、同年一一月七日午後二時ころ原告富士子が被告医院で原告公太郎を診てもらおうと被告に電話をかけた後、同日午後二時三〇分ころ原告公太郎を連れて被告医院に行き、本件外来診察を受けさせたこと、本件外来診察の際、看護婦が原告公太郎の浣腸をした結果便が出たこと、被告が原告公太郎の腹部を触診し、胸に聴診器を当てて診察した結果、原告公太郎の心臓に異常はないと判断したこと、同日夜原告富士子が被告に電話をかけたこと、その際被告が「桜木町の救急センターに行きなさい。」と指示したこと、その後原告富士子が原告公太郎を救急センターに連れていったこと、原告公太郎が救急センターから市大病院へ転送されたこと、以上の各事実は当事者間に争いがない。右争いのない事実に、いずれも成立に争いのない甲第二号証の一ないし九、第六号証の一・二、第一三号証の二、第一四号証、第二一号証ないし第二四号証、第二六号証、第三〇号証、乙第一号証の五、六、八及び九、同号証の七の一・二、第二号証の一ないし三、第三号証の一・二、第四号証、第八号証、第一〇号証、いずれも原本の存在及び成立に争いのない甲第一号証の一ないし一一、第八号証の一ないし三、第九号証の一・二、第一〇号証、第一一号証の一ないし三、第一二号証、第一三号証の一、弁論の全趣旨により成立を認める甲第三一号証、証人五十嵐洋子、同藤田伸二、同富田章、及び同吉田義幸の各証言、原告富士子及び被告(第一、第二回)各本人尋問の結果、検証の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

1  妊娠・出産から被告医院を退院するまで

(一)  原告富士子は、昭和五九年春ころ、訴外平間医院で妊娠している旨の診断を受けた後、被告医院で第一子を出産したことや計画出産を望んでいたことから計画出産を実施している被告医院で出産することに決め、同年七月三一日、被告医院を訪れて、妊娠二五週一日目(妊娠七か月)との診察を受け、その後出産まで、数回被告医院で受診した。当初骨盤位と診断され、また、一時妊娠中毒症に罹ったことがあったほかは、妊娠中とくに異常はなかった。原告富士子は、未婚であったことや、家庭の事情で健康保険証を使わず、そのため診察費用がかさむことを懸念して、度々、被告から指示された定期診察日にきちんと受診しなかったことなどから、被告に対し、引け目を感じていた。

(二)  原告富士子は同年一〇月二二日入院し、同人の希望に従って、分娩誘発剤による計画分娩及び無痛分娩の方法で、同日午前九時六分、被告の介助により第二子の原告公太郎を出産した。お産の経過は順調であり、在胎期間は三七週〇日、出生時の体重は三三〇〇グラム、身長は52.0センチメートル、頭位は34.5センチメートル、胸囲は32.5センチメートルだった。

(三)  原告公太郎は、同月二二日午後九時に初めて糖水(ぶどう糖)を三cc飲み、翌二三日午前零時、糖水を五cc飲んだ。次いで、同日午前三時に初めてミルクを一〇cc飲み、その後も三時間おきに一日八回ミルクを飲んだ。母乳は二四日午後零時から飲み始めたが、母乳を飲む際はミルクを追加して与えられた。授乳時間及び量については、二三日午前六時及び午前九時にミルク各一五cc、午後零時にミルク二二cc、午後三時、午後六時、午後九時、翌二四日午前零時、午前三時、午前六時にミルク各三〇cc、午前九時にミルク四〇cc、午後零時にミルク三〇cc及び母乳、午後三時、午後六時にミルク各四〇cc及び母乳、午後九時にミルク五〇cc及び母乳、翌二五日午前零時、午前三時にミルク各五〇cc、午前六時にミルク六〇cc、午前九時にミルク四〇cc及び母乳、午後零時、午後三時にミルク各二〇cc及び母乳、午後六時、午後九時にミルク各四〇cc及び母乳、翌二六日午前零時、午前三時、午前六時にミルク各三〇cc、午前九時にミルク四〇cc及び母乳であったが、各母乳の量はいずれも不明である。

(四)  原告公太郎の体重は、一〇月二三日が三一九〇グラム、二四日及び二五日が各三一〇〇グラムであり、二六日の退院時は三〇九〇グラムであった。排便状況については、排便回数は二二日が二回、二三日及び二四日が各六回、二五日が八回、二六日の退院時までが三回であり、性状は二二日から二四日まで胎便、二五日に移行便に、次いで二六日に普通便となり、いずれも正常であり、排尿状況も正常であった。体温は、体温計を顎の下の首に挟んで測定し、二三日午前九時が三四度八分、同日昼及び夕方が各三五度、二四日午前九時が三五度二分、同日午前一二時が三五度六分、同日午後六時が三五度二分であった。脈拍は、一分間当たり、二二日一回目が約一一〇、二回目が約一二〇、二三日一回目及び二回目が各約一一〇、二四日一回目が約一一〇、二回目が約一三〇、二五日一回目及び二回目がいずれも約一三〇、二六日が約一二〇であった。黄疸に関して異常はなく、その他、入院中原告公太郎に特別な異常は認められなかった。

(五)  被告医院で勤務する医師は、被告一人であり、看護婦は、日勤が五十嵐洋子及び被告の妻の二人であり、夜勤は別の看護婦が勤めていた。被告医院は、産婦人科と小児科を標榜していたが、産婦人科を中心に診療を行っていたもので、とくに新生児に対する挿管・点滴等の処置のための設備は整っておらず、また、レントゲン検査の設備はあったが、新生児に対してレントゲン撮影は行っていなかった。

被告医院では、入院中のすべての産婦に対して、出産・育児に備えてビデオを見せたり、新生児に対する育児指導及び産後の指導を行ったり、また、栄養士による調乳指導や看護婦による沐浴指導を行っていたほか、出産三日後、新生児を母親のところに連れて行って授乳指導をしていた。その際、母乳を飲ませた後には必ずミルクを足すようにとの指導もしていた。これらの指導は、他の患者と同様に、原告富士子に対しても行った。

(六)  原告公太郎は、三時間おきの母乳の時間に、新生児室から原告富士子のいる病室に連れて来られたが、その際、母乳を口に含んでもすぐ寝てしまい、泣き声をあげることもなかったので、原告富士子は、母乳を全く飲んでいないのではないか、元気がないので大丈夫だろうかと不安を感じていた。そのため、原告富士子は、看護婦に、原告公太郎はミルクをきちんと飲んでいるのか、泣き声を聞いていないが泣いたことがあるかと尋ねたところ、新生児室ではミルクをきちんと飲んでいる、泣いているから大丈夫である旨の返事を受けた。

(七)  同年一〇月二六日午前一一時、退院に当たり、被告は原告富士子と面接し、退院後の一般的な注意事項を伝え、母乳が足りないときは必ずミルクを追加して与えることなどを指導し、さらに、何かあったら電話をするようにと話した。その時、他の乳児が泣いていたのに原告公太郎は泣いていなかったので、原告富士子が被告に、原告公太郎はこれまで泣いたことがあるのか聞いてみたところ、被告は大丈夫である旨答えた。

(八)  同年一〇月二六日、右面接の後、予定どおり、原告らは被告医院を退院した。

2  被告医院を退院した後、本件外来診察に至るまで

(一)  被告医院を退院した後、原告公太郎は、約三時間おきに泣いて、一日八回母乳を飲んだ。原告富士子は、第一子を母乳で育てたように原告公太郎も母乳で育てたいと考えていたため、当初はミルクを追加して与えることはしなかった。原告公太郎の泣き声は比較的小さく、母乳を飲む時以外はほとんど寝た状態でおとなしかった。また、原告公太郎の父親である磯貝公司から、痩せていて怖くて抱けないと言われたり、原告富士子の友人から、こんなに痩せている赤ちゃんは初めて見たと言われたりすることもあって、原告富士子は大丈夫だろうかと不安を抱いていた。

(二)  退院数日後から次第に母乳の飲みが悪くなったように感じられたので、一日二、三回、ミルクを二〇ないし三〇cc作り、母乳に追加して与えるようにした。その際、ミルクは約二〇cc飲んでいた。

同年一一月一日、原告公太郎の体温が低く感じたので測定したところ、三五度八分であった。そのため、原告富士子は育児電話相談窓口である「エンゼル一一〇番」に電話をし、体温が低いこと、母乳やミルクを少ししか飲まないことなどを話して相談したところ、相談員から、「体温を測りなおし三五度以上あれば心配はない。心配であれば毛布を一枚よけいにかけて様子をみるように。母乳不足と決めつけないで、慣れるまで練習するように。」とのアドバイスを受けた。

(三)  毛布を一枚よけいに掛けるようにしたところ、体温は三六度台に上がったが、その後、母乳を飲む量がさらに少なくなった。原告公太郎は、ミルクを追加しても一回につき一〇cc程度しか飲まない時が多くなり、ほとんど寝ている状態だった。同月五日から七日まで三日間便が全く出なくなって便秘になり、尿は透明で量が乏しくなった。原告富士子は、育児書の記載に従い、こよりを作って浣腸を試みたが、便は出なかった。

そのため、同月七日、再び「エンゼル一一〇番」に電話をして、便秘の状態等を話し相談したところ、「脱水症状を起こしているかもしれないので、直ぐに病院で診察を受けるように。」との指示を受けた。

(四)  原告富士子は、出産をした被告医院で原告公太郎を診察してもらおうと考え、同年一一月七日午後二時ころ被告医院に電話をかけて、数日前から原告公太郎の便が出ていない旨を話したところ、被告から、「すぐ診てあげるから、二時半ころ来なさい。」と言われた。そこで、午後二時三〇分ころ原告らは被告医院を訪れ、本件外来診察を受けた。

3  本件外来診察時について

(一)  原告らが被告医院に来院すると直ぐに五十嵐看護婦は、被告の指示により、分娩室で原告公太郎の浣腸をした。その際、全部を裸にしなかったが、腹部が出るまでおむつ等をはずし、原告公太郎の足を見たところ少し痩せているとの感じを受けた。浣腸の結果、うさぎのようなコロコロした便が少し出た。その後、被告が分娩室に来て、便が少し出たことを五十嵐看護婦から聞き、原告公太郎の診察を始めた。

(二)  原告富士子が被告に原告公太郎の臍の緒がまだ取れていない旨話したところ、被告は「おかしいですね。」と言いながら、絆創膏を剥がして臍の緒を取った。さらに腹部及び胸部を視診・触診したが、その際、胸骨下ないし上腹部に凹みがあることに気づき、原告富士子に、「これは何ですか。いつからですか。」と聞いた。原告富士子は、それまで胸の凹みを見たことがなかったので驚き、「初めてです。」と答えた。被告は、聴診器を原告公太郎の胸に当てて診察した結果、心臓及び肺に異常はないと診断し、原告富士子に大丈夫である旨話した。診察の際、原告公太郎の体重を測定するなど、その他の検査は行わなかった。

(三)  胸に深い凹みがあるのに大丈夫と言われただけだったので、不安を抱いた原告富士子は、被告に、母乳を少ししか飲まないこと及び泣き声が小さいことを話した。被告は、原告公太郎を診て少々痩せていると感じたこともあって、何を飲ませているか確かめたところ、母乳を飲ませている旨の返事を受けた。そのため、少し痩せているのは母乳が足りないのが原因であると考え、原告富士子に、「それではちょっと痩せすぎですから、母乳にミルクを追加して少し太らせなさい。」と指導した。原告富士子は不安をぬぐい切れなかったが、被告に引け目を感じていたため、被告にそれ以上の質問はせず、より詳しい診察を求めることもしなかった。診察後、原告富士子は受付で五十嵐看護婦に対し、原告公太郎が最近元気がなく、ミルクの飲みが悪いので不安を感じている旨を話したところ、右看護婦から、他の患者の例を引き合いにして、頑張るようにと励まされた。

なお、右診療時の原告公太郎の症状については、後記のとおりである。

4  本件外来診療後、救急センターにおける診察まで

(一)  同日午後三時三〇分ないし四時ころ被告医院から帰宅した。同日午後五時三〇分ころ、原告公太郎が泣いたので母乳を与えたが、二、三分して母乳を飲みながら寝てしまったので、そのままベビーベットに寝かせた。原告富士子も、育児の疲れなどにより眠くなり、ベビーベットの隣に布団を敷いてぐっすりと寝入った。

(二)  同日午後一一時ころ、原告富士子は、帰宅した磯貝公司に起こされて、原告公太郎を見ると、顔色は黄土色で体温は冷たくなっており、「ヒヒーン」というかすかな泣き声を上げ、ぐったりとしていた。右の様子を見て驚き、慌てて被告医院に電話をかけ、原告公太郎の呼吸が弱々しく、顔色が悪く、また、体温が極端に低いことなどを伝えた。被告は、重篤な感じを受け、とにかく緊急の処置を要するものと判断し、また、桜木町の救急センターが夜間救急診療を実施しているので、原告富士子に、「救急車を呼んで救急センターに行きなさい。」と指示した。磯貝公司は、その間、自動車のエンジンをかけてヒーターを付け、直ぐに出掛けられるように準備をしていた。原告富士子は、電話を切ると、直ちに磯貝公司の運転する自動車で原告公太郎を救急センターに連れて行った。

(三)  同日午後一一時三〇分に救急センターに到着した後、原告公太郎は直ちに、処置室に運ばれて、当直医の富田章医師の診察を受けた。

到着時、原告公太郎は無呼吸状態に陥っていて、顔面は蒼白で、皮膚は著しく乾燥していた。心音は正常で規則的に打っていた。富田医師は、同三二分、アンビューマスクにより酸素吸入を開始し、挿管の用意をしながら腹部を軽く圧迫し刺激したところ、自発呼吸が戻ったので、挿管は行わず、右マスクによる酸素吸入を続けた。栄養状態が悪く痩せていて、身体が冷たかったので、体重と体温を測定した結果、体重は二六五〇グラム、体温は31.7度であった。同四〇分、低体温に対する処置として湯たんぽで身体を温め、同四九分、頭皮針を用いて右側頭部の静脈からぶどう糖の点滴を開始した。同五五分、自発呼吸は続いていて、顔色はやや良好となり、かすかに眼を開けて泣き声を上げた。右の症状から、富田医師は、脱水及び低体温と診断した。応急処置をとった後、専門的治療、処置が必要と判断し、翌一一月八日午前零時五分、救急車で市大病院へ転送した。原告公太郎は保育器に入れられ、湯たんぽで温められ、酸素吸入の処置をとられながら看護婦が付き添って運ばれた。

5  市大病院への入院

(一)  一一月八日午前零時二〇分、市大病院に到着し、原告公太郎は同病院小児科に緊急入院することとなった。

入院直後の原告公太郎の状態については、栄養状態は不良で体型が小さく無欲状顔貌で、活動性は低下し動きがにぶく、泣き声は小さかった。自発呼吸をしていたが、呼吸は胸腹型で浅くやや不規則であり、吸気時に助間部、剣状突起下、助骨弓下に陥没(陥没呼吸)が認められた。鼻翼呼吸やシーソー様呼吸は認められず、さらに聴診による肺の音に異常はなく、呻吟、喘息は認められなかった。体幹、四肢の皮膚はやや蒼白で口唇及び四肢末端に軽度のチアノーゼが認められ、冷感が強かった。全身のツルゴール(皮膚の緊張度)は低下し、大泉門はやや陥没していた。モロー反射、把握反射はやや減弱していた。体重は二六五〇グラム、身長は50.5センチメートル、頭位は34.8センチメートル、胸位は三〇センチメートルであった。体温は33.8度、脈拍は一分間当たり一二四回、呼吸数は一分間当たり四六回、血圧は最高値が六四で最低値は測定できなかった。

(二)  担当医の吉田義幸医師は、右症状から低栄養、強度の脱水及び軽度の呼吸障害と判断した。低体温に対して赤外線を当てて体温を温める処置をとり、脱水に対して点滴補液を行った。また、血液ガス検査を施行したところ、血液中の炭酸ガスが正常値よりも高い値を示し、代謝性アシドーシスを呈していたので、血液中の酸性度を補正する処置を取った。午前一時三〇分ころ、原告公太郎に吸啜反射(乳を吸う反射)が見られたので、看護婦はミルクを三〇ミリリットル与えたが、少量の嘔吐が見られた。午前二時四五分ころ、無呼吸発作を起こし自発呼吸がほとんどなくなったので、気管挿管(人工呼吸)による呼吸管理を開始した。

同日、原告富士子の乳が張っているときに搾乳したところ、七五ミリリットルの母乳が出た。原告公太郎の呼吸障害は改善されず、陥没呼吸はしばらく続いた。同月一一日、気管チューブが自然抜管したが、自発呼吸とともに陥没呼吸が著明となったため、以後気管チューブの抜去は困難となった。脱水、低体温等の原因となっている基礎疾患を探すため検査を種々施行していたが、同日、胸部レントゲン検査により、気管偏位が強く疑われた。

同月一二日、担当医が吉田医師から藤田伸二医師に変わった。気管偏位が疑われていたので、同月一三日に食道造影を、同月一五日に体幹のCTスキャン検査をそれぞれ実施したところ、気管及び食道の間に両者を右前方及び右後方に圧迫し移動させるような形で腫瘍が存在することが判明し、縦隔腫瘍が疑われた。呼吸状態は改善せず、悪化する恐れもあったので、外科に転科して緊急手術を施行することにした。

原告公太郎の体重は、同月九日二八八〇グラム、一〇日二八九五グラム、一一日二九二五グラム、一二日三一五〇グラム、一三日三〇一八グラム、一四日三〇八〇グラム、一五日三〇三八グラム、一六日三〇三五グラムとなり、また、一九日からチューブ栄養が開始され、総カロリー摂取量は一六日まで一日当たり一〇三キロカロリーから二九五キロカロリーであり、栄養状態は次第に改善されていった。

(三)  同月一六日、外科に移されて、縦隔腫瘤摘出の緊急手術が施行され、腫瘤が摘出された。腫瘤の下極は大動脈弓部よりやや下方食道近くに存在し、上極は肺尖部を越えて頸部に至っていた。腫瘤は、気管及び食道と強く癒着していて、剥離するためにのう種の内容を一五ミリリットル吸引することを要した。摘出された腫瘤は、直径約五センチメートル大であった。その後、病理所見により先天性の食道のう腫と確定診断されたが、食道のう腫は非常に稀な疾患であるところ、新生児期に発症したものとしては日本で初めての症例であった。

手術は成功し、腫瘤による気管の圧迫は解除され、同月二二日、小児科へ再転科となったが、呼吸障害は持続し、同年一二月一九日まで気管チューブ挿入による呼吸管理を要し、翌年一月七日まで酸素投与を続けた。四肢緊張の亢進が見られたので、同月一二日からリハビリテーションを開始した。同年二月上旬、症状が軽減し、同月一四日退院となった。

6  市大病院退院後

(一)  原告公太郎は、右退院後、重度脳障害により、四肢麻痺、精神運動発達遅滞の後遺障害(本件後遺症)が残った。痰がすぐに絡み、また、すぐに熱を出す状態であったため、小児科外来及びリハビリ外来のため市大病院での受診がしばらく続いた。昭和六一年夏ころ(一歳九ヶ月時)、高熱を発するとともに痙攣が起き、「癲癇性痙攣」と診断され、その後、高熱を出す度に痙攣発作を起こし、救急車で市大病院に搬送されることがしばしばあり、また、入院することもあった。昭和六三年三月(三歳時)から平成元年三月(四歳時)まで、新横浜リハビリセンターにリハビリ保育のため通園した。その後、原告公太郎は、平成元年四月から平成二年三月(五歳時)まで、精神薄弱児施設のさざんか学園に、同年四月から平成三年三月(六歳時)まで、健常児が通う鶴見区鶴見保育園に、同年四月から平成六年三月(小学校三年時)まで、横浜市立上菅田養護学校小学部に、同年四月(小学四年時)からは横浜市立豊岡小学校特殊学級にそれぞれ通い、リハビリ訓練を受けている。当初、歩行はほとんど不可能である旨の診断を受けていたが、リハビリ訓練により、さざんか学園に通園中、徐々に補装靴を履いて歩行が可能となった。原告公太郎は、平成四年一月二三日(七歳時)、左足外反母趾の手術を受け、数ヵ月後なんとか自力で歩くことができるようになった。同年一〇月には、漏斗胸の手術を受けた。このころから、痙攣発作を起こすことがなくなったが、平成六年八月(九歳時)には再び発作を起こし、投薬を受けている。

(二)  原告公太郎の知的能力の進展は、五歳ころまでは発達年齢二歳台と遅滞時期があったが、平成六年一〇月(一〇歳時)には、精神年齢四歳一〇か月となり、言葉も出てきて順調に伸びてきている。一〇歳時における基本的な身辺処理については、箸を用い自立して食事をすることはできるがこぼすことは多く、排泄は大便の後始末が不確実であり、服の着脱はボタン、ファスナー等の手先を必要とすることはできない。平成六年一〇月二一日(一〇歳時)、横浜市中央児童相談所により、「中度ないし軽度の精神遅滞の知的水準と思われる。三歳ないし六歳までの能力のばらつきが見られ、言語表現、課題意識の面で落ち込みが認められる。自己コントロール力の弱さがあり、母への依存心が強い。」との心理診断がされている。

(三)  原告富士子は、原告公太郎が市大病院を退院して間もないころ、原告公太郎の父親の磯貝公司と別れて同棲を解消し、その後は一人で原告公太郎の育児・看護をすることとなり、平成二年一二月からは、やむなく生活保護を受けている状態である。

以上の事実が認められる。証人五十嵐洋子の証言及び原告富士子・被告(第一、第二回)各本人尋問の結果中、右認定と抵触する部分は、その余の前掲各証拠に照らしてにわかに採用できず、ほかに右認定を動かすに足りる証拠はない。

二  原告公太郎の症状及びその原因・機序等

前記一認定の事実、前掲乙第一〇号証、成立に争いのない甲第三号証、第四号証の一・二、第五号証の一、第七号証、第一六号証ないし第一八号証、第二七号証ないし第二九号証、乙第一一号証ないし第一四号証、第一七号証、第一九号証、第二〇号証、第二二号証、原本の存在及び成立に争いのない乙第六号証、第七号証、証人宇賀直樹の証言により成立を認める甲第二五号証(宇賀直樹医師作成の鑑定書)、弁論の全趣旨により成立を認める甲第三二号証、証人高倉巌の証言により成立を認める乙第一二号証(高倉巌医師作成の鑑定書)、証人五十嵐洋子、同藤田伸二、同富田章、同吉田義幸、同高倉巌、同宇賀直樹及び鑑定人田中憲一の各証言、被告本人尋問(第一、第二回)の結果並びに鑑定の結果を総合すると、次のとおり認められる。

1  被告医院入院中の原告公太郎の症状

被告医院入院中、原告富士子は原告公太郎の哺乳力が弱いのではないかと不安を抱いていたものの、原告公太郎の水分摂取量は日齢相当で正常であり、哺乳力の低下を窺わせる明確な事実は認められない。排尿排便状況も正常であり、このことからも十分なミルクの量を摂取していたと考えられる。退院時、原告公太郎の体重は三〇九〇グラムに減少していたものであるが、これは生理的体重減少の範囲内にあるので、特別な異常があるとはいえない。入院中体温は若干低かったが、一貫して低いわけではなく、外気温の影響と考えられ、特に異常であるというほどのものではない。原告公太郎は入院中から既に比較的元気がなかったとも思われるが、黄疸その他の症状に特別な異常を認めることはできない。

2  救急センター受診時及び市大病院入院当初の症状が発生した原因・機序

(一)  原告公太郎は、救急センターに到着した昭和五九年一一月七日午後一一時三〇分、無呼吸状態に陥っていて、低栄養ないし脱水及び低体温の状態であり、体重は出生時三三〇〇グラムから二六五〇グラムに減少し、体温は31.7度と低下しており、市大病院に搬送された翌八日午前零時二〇分には、陥没呼吸が現れ、呼吸障害、低栄養ないし脱水及び低体温の状態であり、体重は同じく二六五〇グラムで、体温は33.8度と低下していたものである。なお、証人高倉巌は当時脱水はなかったと判断する趣旨の証言をしているが、前掲その余の証拠に照らしてにわかに採用できない。

(二)  救急センター受診ないし市大病院到着時における原告公太郎の体重は、日齢一六日において出生時から六五〇グラム、約二〇パーセント減少していたことになるが、これは生理的体重減少の範囲を超えた明らかに異常な体重減少である。それまで下痢、嘔吐、発熱や感染症などの急性の脱水症を示唆する症状が存在した形跡は窺われず、また、被告医院退院後間もないころから長期間にわたり哺乳量が少なかったことからみると、急性の栄養障害ないし脱水症によるものとは考えにくく、慢性的に経過した栄養障害ないし脱水による体重減少と推認できる。市大病院で水分とぶどう糖が輸液されて体重は漸次増加したが、一一月一四日が三〇八〇グラム、一五日が三〇三八グラム一六日が三〇三五グラムとなり、入院後一週間でほぼ体重増加が頭打ちになったこと、及びその間の総摂取カロリーは成長に足りる程のものではなかったことに照らすと、脱水がなかった場合の体重は三〇三五グラムないし三〇八〇グラムであったと考えられ、右体重を基礎に計算すると、入院当初、三八五グラムないし四三〇グラム減少していた(一三ないし一四パーセントの脱水)と推定される。この体重は、被告医院を退院した日齢四日における体重とほぼ等しく、原告公太郎は退院後全く成長していなかったことを示している。しかし、市大病院入院約一時間後、原告公太郎に吸啜反射がみられ、ミルクを三〇cc飲んだことから、全く飲めない状態ではなく、哺乳可能であったことは明らかであり、被告医院退院後右入院まで少量の母乳ないしミルクを摂取し続けていたと考えられる。このように原告公太郎は哺乳可能ではあったが、成長に足る量の摂取ができなかったものであるところ、栄養障害の原因について、一般的にはいわゆる母親側の授乳過誤が原因である例が比較的多く、授乳過誤が原因であると考えられがちであるとしても、その多くの場合は体重増加不良であって体重減少に至る例は少ないのであって、前記一認定の事実や市大病院で母乳の搾乳ができたことなどに照らすと、本件の場合、授乳過誤によるものとは到底考えられず、原告公太郎自身の哺乳力が低下していたことに原因があると推認することができる。

(三)  市大病院に入院した直後においては、原告公太郎の呼吸困難は著名に現れておらず、陥没呼吸の程度も軽度であったが、これは、それまで低栄養状態が長期にわたり続いていたとともに、徐々に呼吸障害が進行し、右の時点には、全身状態が悪化して非常に落ち込んだ状態となり、弱々しく呼吸をしている状態であったためであると考えられる。さらに、血液ガス所見で炭酸ガスが正常値よりも高値を示していること、及び軽度のチアノーゼが見られていたことから換気障害があったことも推認できる。市大病院入院約二時間後に無呼吸状態に陥ったが、その原因として、原告公太郎の状況から低血糖値症、低酸素血症、気道の閉塞、ショック状態、電解質異常及び重症感染症等が最も問題となるが、入院中の検査結果によれば、右のうち低血糖値症、ショック状態、電解質異常、及び重症感染症は否定される。入院四日目に人工呼吸のための気管チューブが自然抜管した際、自発呼吸とともに陥没呼吸が著明となったが、このことは、気道に管が入っていることによって初めて呼吸が比較的楽にできる状態で、管が抜けてしまったことにより強い呼吸困難が現れたことを示しており、このことから気管に閉塞機転が存在していたものといえる。また、右呼吸困難に加えて長期にわたる栄養不足により、呼吸筋に疲弊をもたらしていたことが考えられる。

(四)  原告公太郎が罹病していた先天性の食道のう腫は、気管及び食道に隣接して存在し、それらを強く圧迫していたことが認められ、このことと、右(一)ないし(三)の各事情に照らすと、原告公太郎の呼吸困難及び哺乳困難は、食道のう腫による圧迫が原因であると推認できる。また、手術により食道のう腫を摘出した後もしばらく呼吸障害が残ったことから、右圧迫により気管に低形成が生じていた可能性も否定できない。

以上のことから、原告公太郎の無呼吸状態は慢性的な栄養障害ないし脱水により全身状態が悪化していたところに、入眠後呼吸中枢の抑制が起こり、先天的な疾病による気道の閉塞が入眠中さらに増加し、呼吸筋の疲弊も加わって低酸素血症が起きて、呼吸中枢が働かなくなり発生したと考えられる。結局、救急センター受診時ないし市大病院入院直後における原告公太郎の状態については、長期にわたるエネルギー及び水分の不足と呼吸困難に反応した呼吸筋の疲弊、睡眠を機に発生した気道閉塞、これらに起因する低酸素状態、無呼吸状態及び低体温によってもたらされたものと認められる。

(五)  被告は、乳幼児突然死症候群のニアミス(未然型SIDS)が発症したものである旨主張し、前掲乙第一二号証及び証人高倉巌の証言中にはこれに沿う部分がある。しかしながら、乳幼児突然死症候群のニアミス(未然型SIDS)とは「それまでの健康状態及び既往歴から、その発生が予測できなかった乳幼児が、突然の死をもたらし得るような徐脈、不整脈、無呼吸、チアノーゼなどの状態で発見され、死に至らなかった症例」をいうものと一般的に定義されているところ、前記認定のとおり、原告公太郎は食道のう腫の疾患を有していたことが明らかとなっており、右疾患が基礎にあって長期にわたり低栄養状態が続き、異常に体重が減少して全身状態が悪化していたのであるから、乳幼児突然死症候群のニアミスであると判断することは相当でないというべきである。

3  本件後遺症が発症した原因・機序

市大病院でほぼ完全な医療管理がなされたこと、及び食道のう腫以外の明らかな合併奇形の存在は認められなかったことから、脳障害は先天性のものではなく、また、市大病院入院以前に発生したものと推認できる。前記認定のとおり、一一月七日夜原告富士子が呼吸状態の異常に気づいたときから救急センター受診時の午後一一時三〇分ころまで原告公太郎には低酸素状態が続いていたと考えられるが、右の長時間にわたる低酸素状態は十分に本件後遺症を残す程のものであったと認められる。一方、原告公太郎の四肢緊張は生後二か月ころから早期に発生し始めており、重度の四肢緊張性麻痺を引き起こしているのであるが、一般に、慢性的な栄養障害に陥って低栄養状態が続いただけでは重度の四肢緊張性麻痺を引き起こすことは稀であると考えられているから、この点からも、本件後遺症は、一一月七日夜原告富士子が原告公太郎の呼吸状態の異常に気づいたときから救急センター受診時の午後一一時三〇分ころまでのショック、低酸素状態、無呼吸が大きな原因であった蓋然性が極めて高いというべきである。

4  本件外来診察時の原告公太郎の症状

(一)  原告公太郎の体重が昭和五九年一一月七日午後一一時三〇分過ぎに救急センターで受診した時二六五〇グラムであったことは明らかであるところ、長期にわたり哺乳力が低下して低栄養状態が続いていたこと、本件外来診察時からそれまでの授乳が一回だけであり、その間嘔吐、下痢、発熱等体液喪失を引き起こす異常はなかったことからみると、本件外来診察時の午後二時三〇分ころからわずか約九時間の間に著明な体重減少が生じたことは考え難く、したがって、本件外来診察時の原告公太郎の体重は、概ね二六五〇グラムから二七五〇グラムの間にあったと推定することができる。これは、生理的減少を超えた異常な体重減少というべきものであり、重度の栄養障害をきたし、中等症ないし重症の等張性脱水があったと認めることができる。慢性の脱水の場合、皮膚のツルゴールの変化は脱水症の指標とはならないのであり、本件において、急性的な発症の場合にみられる重症の脱水症と同様の症状、すなわち、ショック、意識不明、痙攣、チアノーゼ等の症状が発現していなかったのは、栄養障害ないし脱水が慢性的に経過したことを示すものというべきである。元気がなく、皮膚の張りが弱くなり、手足が冷たくなっていたことを示す前記認定の原告公太郎の全身状態は、右に述べたところにより、十分裏付けられると考えられる。

(二)  前記認定事実によれば、本件外来診察時には、原告公太郎の胸骨下ないし上腹部に凹みが現れていたと認めるのが相当である。これが漏斗胸であるのか陥没呼吸であるのかについては、後に漏斗胸と診断されて小学二年時にその手術を受けたことがあるものの、直後の原告公太郎の症状等に鑑みれば、本件外来診察時の右凹みは陥没呼吸であって、右時点において既に呼吸障害が生じていた蓋然性が極めて高いと考えられる。被告は、右凹みは漏斗胸であり、右時点に陥没呼吸は存在しなかった旨主張し、その本人尋問においてこれに沿う旨の供述をしているが、被告は第二回の本人尋問において初めて右趣旨の供述に至ったものであり、また、被告が当時原告富士子に対して漏斗胸であると説明した形跡は窺われず、救急センター受診時も市大病院入院直後においても漏斗胸の診断はなされていない。約九時間後の市大病院入院直後に陥没呼吸がみられていること、及び呼吸障害は徐々に進行したもので約九時間の間でそれほど変化はないと考えられていることから、本件外来診察時において、既に呼吸障害が発症していたと考えるのが相当である。もっとも、市大病院入院直後認められた陥没呼吸ないし呼吸障害は軽度のものであったこと、及び本件外来診察時、被告、五十嵐看護婦及び原告の誰もが原告公太郎に呼吸障害があるとは考えていなかったことから、その呼吸障害の程度は軽いものであったと推認され、、チアノーゼを呈するには至っておらず、呼吸は規則的で、頻回呼吸や呼気性呻吟等は存在していなかったと認められる。

(三)  被告は、呼吸障害は存在しなかった旨主張し、前掲乙第一二号証及び証人高倉巌の証言中にはこれに沿う部分がある。右は経験のある医師の被告及び五十嵐看護婦が呼吸障害を見逃すことは到底考えられないことなどをその根拠とするものであるが、医師といえども軽度の呼吸障害を見落とすことが全くないとまでは言い切れないのであるから、にわかに採用できない。また、鑑定人田中憲一医師の鑑定書には、「胸のへこみがあったのであれば、呼吸困難な状況にあったと推測されるが、診療録には所見が不記載なので不明であるし、新生児の症状経過は急な変化を示すことも多いので、救急センター受診時の状況からの予測はできない。」との鑑定意見が述べられ、右鑑定人は、陥没呼吸が存在したか否かの判断は困難である趣旨の証言をしているが、軽度の陥没呼吸、呼吸障害が存在した蓋然性が極めて高いと考えるべきであることは前記のとおりである。

三  被告の責任

1  被告の過失

(一)  被告医院入院中の過失

前記二1のとおり、被告医院入院中、原告公太郎の症状等に特に異常な所見は存在せず、また、前記一認定の事実によれば、被告医院において原告公太郎に対する必要な医療管理はなされていたことが認められるので、原告らが請求原因6(一)(1)で主張する被告の過失は認められない。

(二)  本件外来診察時の過失

本件外来診察時における原告公太郎の症状は、前記二4のとおりであり、異常に体重が減少し、先天性食道のう腫が原因で慢性的な栄養障害を呈しており、呼吸障害も徐々に現れていたと認められるのであって、右症状は、それを放置しておけば全身状態が悪化して呼吸が停止するなど危険な状態を引き起こすに十分なものであったと考えられる。

ところで、乳児の体重測定は、栄養不足の程度を知ることができる簡便かつ容易な方法の一つであり、その測定によって得られる客観的な数値は母親からの情報とともに重要な情報であるから、乳児の体重が異常に減少している場合、まず体重測定を行い、測定の結果、重度の栄養障害を知り得た場合には、さらにその原因が授乳する母親側にあるのか児側にあるのかを明確にするため、乳児の哺乳力や母親の授乳態度を確認し、すみやかに原因を考えて、しかるべく対処する必要があるというべきである。

原告公太郎の症状は前記のとおりであったのであるから、そのまま放置しておけば全身状態が悪化して危険な状態を引き起こすことは十分予測可能であったというべきであり、被告は、原告公太郎の体重を測定し、哺乳力を検査する等全身状態を精査し、また、緊急に補液の処置をとるべき注意義務があったというべきである。さらに、被告医院は、新生児に対する挿管・点滴等の処置のための設備は整っていなく、新生児のレントゲン検査も行っていなかったのであるから、精査目的と管理目的で直ちに医療設備の整ったしかるべき病院に転送すべき義務があったというべきである。

しかるに、被告は、原告公太郎の体重が異常に減少して栄養障害が存在していたことに気づかず、軽度ながら存在した陥没呼吸ないし呼吸障害を見落とし、哺乳不足があるとしてもそれは母親側の授乳過誤が原因であり、便秘の他に特に異常はないと診断し、浣腸をした後、原告富士子に対して母乳にミルクを足すように指導しただけでそのまま帰宅させているのである。

したがって、被告の過失に関する原告らの主張(請求原因6(一)(2))は、右の限度で理由があり、右過失は不法行為責任を構成し、また、請求原因2(診療契約の締結)の事実は当事者間に争いがないところ、右診療契約に基づく債務不履行責任を構成する。

被告は、その本人尋問(第一、第二回)において、主訴が便秘のときは体重測定までは行わないのが通常であり、また、外来診察で訪れた乳児の身体を見るだけで体重が減少しているか否かを判断することは困難である旨供述するが、本件の場合、体重減少の程度が著しいものであったこと、及び原告富士子からミルクの飲みが悪い旨の相談も受けていたことから、そもそも体重が異常に減少していたことに気づかなかったことは、被告に診察上の落ち度があったといわざるを得ない。もっとも、当時の臨床医の医療水準において、本件外来診察時に、先天性食道のう腫の存在を疑うことが不可能に近かったことは、これを肯認すべきであると考えられるが、だからといって、右外来診察時における被告の過失を全面的に否定するものではないことはいうまでもない。

被告は、過失を争い、現在の医療水準では本件外来診察時において数時間後の突然の呼吸困難を予測することは不可能であり、転送義務はなかった旨主張し、前掲乙第一二号証及び証人高倉巌の証言中には、右に沿う部分がある。しかしながら、高倉医師の右意見は、本件呼吸障害等は乳幼児突然死症候群のニアミスが発症したものであるうえ、本件外来診察時に呼吸障害は存在せず、高度の脱水も存在しなかったとの前提に立っているものであるところ、本件外来診察時には重度の栄養障害のほか、軽度の呼吸障害が存在したと認めるべきであることは前記のとおりであるから、高倉医師の右意見はにわかに採用できない(また、原告公太郎の症状機序を乳幼児突然死症候群のニアミスとすることは相当でない。)。また、田中憲一医師の鑑定結果は、被告の過失を明確に肯定するものでも、また、明確に否定するものでもなく、右鑑定人の証言によれば、その趣旨は、つまるところ被告の過失の有無を判断することは困難であって、実際に診察を行った被告の判断を信頼するほかはないとするもののようであり、前述の認定・判断によって被告の右過失を肯定することと必ずしも矛盾するものではない。

2 因果関係

本件後遺症が発症した原因・機序については、前記二3のとおりであるところ、原告公太郎が本件外来診察時にしかるべき病院に転送されて、原因精査及び医療管理を受けていれば、早期に原告公太郎の呼吸の確保措置をとることなどにより、本件後遺症の発生を未然に防止できた蓋然性が極めて高いというべきである。したがって、被告の前記過失と本件後遺症との間には相当因果関係があるものと認めるのが相当である。

3  被告の責任とその負担割合

以上によれば、被告は、本件診療契約の債務不履行又は不法行為に基づく責任を免れないというべきであるが、原告公太郎の本件後遺症の発生の原因・機序と被告の過失の内容・程度等に鑑みると、本件後遺症により原告らに生じた損害のすべてについて直ちにその責任が及ぶと解するのは、必ずしも相当とはいえないきらいがある。そこで、これを検討するに、まず第一に、原告公太郎は、日本における新生児の症例としては極めて稀な先天性食道のう腫に罹患したまま出生したものと推認されるところ、そののう腫の増悪によって、栄養障害、呼吸障害が引き起こされ、出生後一六日目に陥った重大な低酸素状態等によって重篤な本件後遺症を被るに至ったと認められるのであって、臨床現場たる本件外来診察においては、その兆候的症状である栄養障害、呼吸障害を予見診断することが可能であったとしても、そもそもの原因・機序自体を予見診断することは不可能に近かったという事情が明らかである。

また、前記認定のとおり、本件外来診察時においては、原告富士子は、被告に対する引け目を感じていたことなどから、それまでの授乳状態や原告公太郎の症状について詳しい事情を積極的に伝えることなく、便秘のみを主訴としていたのであり、急性脱水症の場合にみられるような脱水症状も呈しておらず、呼吸障害はその程度が見落とされ易い軽度のものであったこと、栄養障害の発見は比較的容易であったと考えられるものの、一般的に哺乳量の不足の原因が授乳過誤にある場合が多いとされていることなどに鑑みれば、発生した結果は極めて重大ではあるけれども、被告が栄養障害及び呼吸障害を見落としたことについての過失の程度は、必ずしも大きいとはいえない。

しかも、前述のとおり、本件後遺症は、極めて稀な先天性食道のう腫が根本的な原因となっているものであり、原告公太郎自身の体質的素質に起因するものであることもまた否定することはできない。さらに、本件後遺症が発症した原因・機序については、前記認定のとおりであるとしても、低酸素状態、低栄養状態、低体温がその決定的な原因・契機となったのが正確にいつの時点であるのか、呼吸障害がどのように進行して悪化していったのかなどの点は医学上必ずしも明らかでなく、また、鑑定結果に「退院直後から痩せている・泣き声が小さい・ほとんど寝た状態であったということから推測すると、先天的な異常の存在も疑われる。診療録の添付写真をみると、耳介低位、鞍鼻、疣贅、顎部皮膚のたるみが気になり、手指の握りに緊張が強そうで、診断名まで確定し得ないが、何かおかしいと感じられる顔貌に思われる。症状経過から何らかの先天異常の存在が否定し得ない。」とあるように、食道のう腫以外に何らかの先天異常が存在する疑いも完全に払拭することができない。したがって、右のような未解明の点が残るとすれば、被告が前記転送義務を尽くしていたとしても、本件後遺症ほど重篤ではないにしてもなお何らかの後遺症が発生した可能性を考慮に入れる必要があるともいえる(鑑定人は「本件後遺症の発生の防止は難しかったのではないかと思われる。」としている。)。

このような、本件後遺症の性質、原因・機序と照らし併せると、被告の本件過失は初期的な栄養障害・呼吸障害に関する予見義務違反、及びこれを前提とする転送義務違反にすぎないのであって、その過失の性質は、端緒的な起因性を持ち得るものの、原告公太郎の後遺症損害の全体に関係してこれを覆うものとまではいえないと考えられる。

そうすると、原告らに発生した後記損害のすべてを被告の責任の範囲内と認定することは、損害賠償法の理念である損害の公平な分担の見地に悖るものというべきであり、当裁判所は、以上のような被告の過失の性質・内容・程度と、原告公太郎の先天的・体質的素因及び因果関係における一部不確定要素の可能性など、被告に全面的な責任を負担させることが明らかに不相当と認められる諸要因を総合勘案し、本件事故によって原告らが被った損害について被告が責任を負担すべき割合は、全体の六割をもって相当と認める。

四  損害について

1  逸失利益(原告公太郎)

本件後遺症については、前記一6認定のとおりであるところ、原告公太郎は労働能力を一〇〇パーセント喪失し、今後これを回復する見込みはないものと考えられる。したがって、本件後遺症による原告公太郎の逸失利益は、賃金センサス平成四年男子全年齢平均年収額の五四四万一四〇〇円を基礎に、労働能力喪失率を一〇〇パーセント、労働能力喪失期間についてライプニッツ係数により年五分の割合の中間利息を控除して(右ライプニッツ係数は、本件事故時の零歳から六七歳までの六七年に対応する係数19.2390から、一八歳までの一八年に対応する係数11.6895を控除した7.5495である。)算定すると、四一〇七万九八四九円となる。

544万1400円×7.5495=4107万9849円

右のうち、被告が負担すべき額は、その六割に当たる二四六四万七九〇九円(円未満は切捨て)である。

2  付添費(原告公太郎)

本件後遺症及び原告富士子の介護状況等は、前記一6認定のとおりであるところ、原告公太郎は日常生活の基本的部分のほとんどについて介護が必要であり、将来も相当期間にわたって介護を要すると考えられる。しかしながら、原告公太郎は中度ないし軽度の精神遅滞の知的水準は有していること、訓練次第では今後も相当程度の改善・回復の見込みが十分あると考えられること、痙攣発作の回数も減ってきていること、また、右損害との相当因果関係を考えるに当たっては、健常な乳幼児に対して本来必要な監護・養育のための費用との差額を考慮すべきであることなどから、本件事故により発生した付添費は、本件事故時の〇歳から三〇歳までの三〇年間につき一日当たり四〇〇〇円をもって相当因果関係にある損害と認めるのが相当である。そして、本件後遺症が発生した事故時における現価を求めるべく、三〇年間につきライプニッツ係数により年五分の割合の中間利息を控除して算定すると、二二四四万三七〇四円となる。

4000円×365日×15.3724=2244万3704円

右のうち、被告が負担すべき額は、その六割に当たる一三四六万六二二二円(円未満は切捨て)である。

3  慰謝料(原告ら)

(一)  原告公太郎が本件後遺症により被った精神的苦痛に対する慰謝料は、本件後遺症の程度、前記三3で説示した事情、その他本件に現れた一切の事情を勘案すると、二〇〇〇万円をもって相当と認める。

右のうち、被告が負担すべき額は、その六割に当たる一二〇〇万円である。

(二)  原告富士子が原告公太郎の母親として本件後遺症により耐え難い精神的苦痛を受けたことは推測に難くなく、右に対する慰謝料は、前記三3で説示した事情、その他本件に現れた一切の事情を勘案すると、五〇〇万円をもって相当と認める。

右のうち、被告が負担すべき額は、その六割に当たる三〇〇万円である。

4  弁護士費用(原告ら)

弁論の全趣旨によれば、原告らは本件訴訟の提起及び遂行を原告ら訴訟代理人に委任し、その費用・報酬を支払う旨の約束をしたことが認められるところ、本件事案の性質、審理の経過、認容額等に鑑みると、原告らが被告の過失と相当因果関係のある損害として被告に賠償を求め得る弁護士費用の額は、原告公太郎について五〇〇万円、原告富士子について三〇万円をもって相当と認める。

5  したがって、原告公太郎が被告に賠償を求め得る損害額の合計は五五一一万四一三一円となり、原告富士子のそれは三三〇万円となる。

五  結論

以上の次第であるから、原告らの本訴請求は、被告に対し、原告公太郎において五五一一万四一三一円及びこれに対する本訴状送達の翌日であり不法行為の日の後である昭和六一年五月二〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、原告富士子において三三〇万円及びこれに対する右同日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度でそれぞれ理由があるからこれを認容し、原告らのその余の請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官根本眞 裁判官慶田康男 裁判官河村俊哉)

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